──あの戦車、場違いすぎた。
けれど、それこそがこの回の核心だったのかもしれません。
第10話「その執事、掃討」は、“悪魔の執事”と“魔女”の物語に、突如として「近代兵器=戦車」が割り込んでくるという異例の展開。
ドレス姿のシエルと、猛威を振るう戦車。毒ガスと研究者。
どこか噛み合わないもの同士がぶつかりあいながら、それでも物語はひとつの結末へと進んでいきます。
セバスチャンの“お姫様抱っこ”にときめく間もなく、次々と問われるのは──
「その力、誰のために使うのか?」という根源的なテーマでした。
最後に映る“森の影”が、あなたにとって何に見えたのか?
今回はこの第10話を、ネタバレありで深く掘り下げていきます。
黒執事 緑の魔女編 10話のネタバレあらすじ
戦車の猛攻:近代兵器が放つ異質な恐怖
幻想的な「狼の森」に突如、戦車が現れる――。第10話「その執事、掃討」は、そんな強烈な衝撃から幕を開ける。
登場したのは、ドイツの第一次大戦期兵器「A7V」をモデルとした突撃戦車(パンツァー)。轟音と金属の圧が画面に「異物」として襲いかかる。その重厚な存在感は、これまでの“悪魔と魔女の物語”を明確に別物へと引きずり込んだ。
この戦車の登場には、ただ戦闘を盛り上げるだけでなく、「ファンタジーに現実の暴力が侵食してきた」という演出効果が込められている。セバスチャンとシエルが、まるで異なる世界の衝突に直面する——それが、この戦いの本質だった。
セバスチャンとシエルの共闘、美学と実力
戦車を前にしてもセバスチャンは動じない。その強さは、悪魔ゆえの肉体と魔力だけではない。ともに戦うことで、“執事+主人”という美しい構図を成立させる極上のチームプレイを披露している。
そしてシエルがドレス姿で駆けるシーンが映える。足元は戦闘には不向きなはずなのに、セバスチャンの“姫抱っこ”で窮地を逃れる瞬間、その美学と実用のバランスが見事に両立される。こうして、彼らの絆と信頼が“力の物語”として映像に刻まれている。
ジークリンデ・サリヴァンの正体と“魔女”の本質
一方、サリヴァンは“緑の魔女”としての正体をついに明かす。だがその“呪い”は実は、マスタードガスとサリンを使った科学行為だった。呪術ではなく兵器として作られた霧──それが村を襲っていたのだ。
そしてサリヴァンは、自身がその科学に加担していた研究者的存在であることを認める。だが、物語はただ告白で終わらない。彼女は“毒を生む者”から“命を救う者”へと選択を変えていた。その背中には、自らの才能をどう活かすべきかという重い責任が滲む。
魔女の選択:毒を封印し、命へと向かう決断
マスタードガスとサリン、“呪い”の正体とは?
“緑の魔女”と呼ばれたサリヴァンの「呪い」。それは決して魔法でも、神秘でもなかった。
その正体は、マスタードガス――第一次世界大戦で使われた実在の毒ガス。そしてさらに進化した神経毒・サリン。このふたつの“近代兵器”こそが、彼女の魔術の源だった。
村人たちはそれを“呪い”として恐れていたが、真実は国家の陰に隠された兵器研究。サリヴァン自身もまた、その仕組みを理解しながらも、戦争と国家に利用されていた存在だった。
だがここでサリヴァンは問われる──「その知識を、今後どう使うのか?」と。
報告か隠蔽か?シエルの選んだ“もうひとつの忠義”
シエルは、サリヴァンが作っていた毒がサリンであることに気づく。しかし、彼が英国女王に報告するのは、マスタードガスのみだった。
これは明らかな情報の“取捨選択”。すべてを暴露すれば、英国がその技術を手にする。だが、セバスチャンと共に選んだのは“封印”だった。
毒は海に葬られ、サリヴァンは“魔女”としてではなく、“科学者”として生まれ変わる機会を与えられる。
ここに描かれているのは「もう一つの忠義」──女王への絶対的な忠誠とは異なる、“未来への責任”に基づく判断だった。
エンディング後の“森に潜む影”とは何か
老婆の忠告とハンターたち、そして静かに潜む“何か”
スタッフロールが終わった直後、物語は静かに“別の顔”を見せ始める。
森に迷い込んだハンターたち。彼らを迎えるのは、森の老婆の警告だった。
「この森には、人ならぬものがいる──」
その言葉を裏付けるように、木々の陰からかすかに現れる“影”。牙のような形状、鋭い気配、そして映像を一瞬だけ切り裂く存在感。これが次章の新たな脅威なのか、それとも、すでに私たちの知る誰かなのか?
このCパートは、明確な「何か」を映していない。それが逆に、不穏さを倍増させている。
これは次章の伏線か、それとも別の問いかけか?
この“影”について、ファンの間ではいくつかの考察が上がっている。ひとつは「セドリック(=葬儀屋)」の再登場の示唆。もうひとつは「人狼」のような新たな存在の登場だ。
だがどちらにせよ、このシーンには明確なメッセージがある。
それは、「物語はまだ続く。しかも、次はより得体の知れない“存在”との邂逅になるだろう」ということ。
“科学と魔女”の対立を描いた緑の魔女編の次は、“人間とそれ以外”の境界を問う物語へと進んでいくのかもしれない。
第10話が示した3つのテーマと問い
作品を通して繰り返されてきた“黒執事らしさ”が、この第10話でも随所に表れていた。以下の3つの視点から、その本質を整理してみよう。
① 科学vs魔法:力の正体にどう向き合うか?
“魔女”の呪いは、科学で作られた毒だった。つまり、力そのものに善悪はない。
問題は、その使い道と、誰が使うかだ。
サリヴァンは毒を生む研究者だったが、それを人を癒す方向へ転換する道を選んだ。
これは“力の転用”に対するひとつの答えであり、「科学と魔法」という二項対立を超えた問いかけでもある。
② 悪魔と執事:セバスチャンの“人間らしさ”
セバスチャンは悪魔であり、超越的な存在のはずだ。
それでも彼がシエルの命令を超えて“選ぶ”瞬間がある。例えば、毒の廃棄や戦車との戦いで見せた判断と行動。
「あくまで執事ですから」と言いながら、その内側に「自らの意志」をほのめかすセバスチャンの姿こそ、人間的で、深い。
③ 中立者の視点:“影”は誰のまなざしか?
Cパートに登場した“影”の正体は曖昧なままだ。
だが、それは物語の神ではなく、「観察者」のような存在に思える。視聴者に問いを投げ、物語の裏にある“不在の視点”を象徴する。
それが葬儀屋であれ、人狼であれ、“誰かが見ている”という構図は、黒執事という物語が常に内包してきた「外部の視線」を形にしたものなのかもしれない。
まとめ:戦車と毒と影が語る“力の使い道”
第10話「その執事、掃討」は、ひとつの章の終わりでありながら、次の物語の始まりを強く意識させるエピソードだった。
近代兵器“戦車”の登場は、ファンタジー世界への現実の侵食だった。 サリヴァンの毒ガス研究は、呪いの皮をかぶった科学であり、無邪気な天才のもろさと希望を同時に描き出していた。
シエルとセバスチャンは、それらの「力」に対し、ただ抗うのではなく、“使い方”を問う姿勢を見せた。 だからこそ、サリヴァンは「魔女」ではなく「科学者」として生まれ変わり、毒は未来へとつながる“命の知識”に姿を変えていく。
そして森の影──それは、力の誕生と行使を静かに見つめる“視線”の比喩かもしれない。
次なる物語が、私たちにどんな問いを投げかけてくるのか。楽しみでならない。
この回を観終わったあと、あなたの心に残ったのはどのシーンでしたか?
セバスチャンの抱っこ? サリヴァンの決断? それとも、あの森の暗がり?
ぜひ、あなたの“読み解き”を教えてください。
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